第三章
伴走【その4】
10.不安と妄想と恐怖
同じ頃、TMさんが私の事務所に相談しに来た。彼は06年6月初旬、野宿状態から私の紹介で『B工業』に入社し、現在ドヤに逗留中である(05年10月賃貸マンションに転出した)。元は料理人で可能なら引き続いて料理の仕事をやりたいと言っていた。その彼が寡黙で作業能力が高いというので、「彼を正職に登用したい」と会社から私に連絡が入った。現在Fさんをはじめ正職員は5名を越えるようになっていた。私も密かに喜んでいたのだが本人の気持はまったく違った。
「お断りしたいのです。理由は必ず話しますから、もうしばらく時間をもらえませんか」。私はTMさんの納得する時まで待とうと考えていた。しかし理由は債務ではないかと確信していた。正職員になれば住民登録をしなければならず、住民台帳に再記載されれば債権者であるサラ金業者たちがそれを察知し、督促をしてくるので会社にも迷惑がかかり自分も居辛くなると想像するのである。
当事者の多くは相談相手が無く、返済能力もないまま、この場所から違う場所へ遁走するしかないのである。これまで債務を負う多くの男たちを弁護士事務所に連れて行き、債務の免責を実行してきた。経済的自立や支払能力が見えてきた場合は、例えばサラ金業者などの利率や元金の支払条件を考慮や軽減してもらい、支払いを続けていくことにする。その場合は扶助協会(注19)の制度を利用すれば弁護士負担も軽減される。
債務期間が5年以上なら、時効援用(注20)の内容証明を送付し、支払い不能の意思を伝えるのである。しかし男たちの多くは借金を恥辱と感じていて、なかなか話してくれず、それが独立の妨げになっていることもある。TMさんも少しく時間がかかってしまったケースだ。
TMさんが決心をして相談にきた理由ははたして多重債務であった。彼は‘53年生まれの51歳。K県出身である。
[『くらし応援室』の事務所でTM氏と ‘04年11月初旬]
TM「Fさん(前出)にはいつも相談に乗るよと言ってもらっています」
相「Fさんも人生経験が豊富やからね。それで正職の決心はまだつきませんか」
TM「それなんですが、借金があるんです」
相「何社で金額はどの程度? 何年前ぐらいからの債務なの?」
TM「6〜7社で5〜600万ぐらいです。全てK県のサラ金を利用してます。2年前に大阪に来たのでその前の借金です」
相「まだ新しいね。K県ではどんな仕事をしていました?」
TM「店舗を借りてコロッケを売るフードショップで数人雇っていました」
相「それはフランチャイズのお店ですか? それとも自営でやってはりましたか?」
TM「フランチャイズでしたが、店がうまく行かなくて長くは続かなかった。その頃にこしらえた借金です」
相「ギャンブルなんかしないの? TMさんはお酒飲まないもんね」 TM「いえ、ギャンブルは一切しませんけど、お金に困った友人の相談を受けて、サラ金から20万とかいうように幾度か自分名義でお金を借りたことはあります」 相「どうして人に借金までしてお金を貸すの? 返してもらった?」
TM「いえ、殆んど返してもらったことは無いです。ただ可愛そうだと思って」
相「ほかに借金は無いですか。これだけなら近日中に弁護士さんへ相談に行きましょう。すぐに解決するよ。後は早く正職にならないと」
TM「……そう簡単にはいかないです」 相「どうして?」
TM「………」 相「特別な理由でもあるの?」 TM「ヤミ金があるんです……」
相「ヤミ金? それがどうして簡単ではないの? いくらくらいですか」
TM「5万円を借りたので10日で1割返済だから、2年後の今では大きく膨らんでいると思います。しかもヤクザらしいし、返さない限りいつまでも追っかけてくると思う。怖いので住所を定められない」
相「そんなん、たった5万でK県から交通費払って取り立てに来る分けないやん」
TMさんはここで微かな恐慌状態に陥っていた。そんなに簡単に言ってもらっても経験した人間でないと判らない、というようなことを言った。
相「僕も自営してたからようさん借金を抱えていたよ。おもにサラ金やけどね。とにかく逃げないで解決した。自己破産やったけど。TMさんも大丈夫やて」
TM「TVの特番でヤミ金の恐ろしさを報道しているのを見ると、佐々木さんが言うほど簡単には行かないのがわかる。それが怖くて、私は大阪に来てから自殺をはかり救急で搬送されて入院までしたんです。今でも切った血が噴き出した時のことを忘れられない」。
明らかにTMさんは、メディア情報を自らの状況に同化させていて恐怖を隠さなかった。私の当仕事への関わりは、彼等が多重債務で逃げ回っていることへの共感であった。それは私の経験してきたことでもあったからだ。しかしTMさんには私の説得は通じなかった。とにかく弁護士事務所に同行し、弁護士の口から直接安心してもらうことにし、いつも相談するY弁護士に予約することにした。
11.まだ見ぬ母がいた!
心配げなTMさんと打ち合わせが終わった瞬間、彼はK県から送られてきた戸籍謄本を開封しながら意外なことを話した。
TM「…あのう、母の名前初めてわかりました」
相「え…お母さんって…」
TM「生まれた時から母親の顔も覚えていないんです」
相「……」
TM「父親と別れて、私は父に引取られたようです。生まれてすぐに別離したようで、母親の顔を全然知りません。昔にも戸籍謄本を取ったことがあったんですが、その頃は母が勝手に男と出て行ったということで憎いというか、彼女の名前に興味も持っていなくて……。今日初めて名前知りました」
TMさんの顔には悲しいけれど妙な感動も同時に受けている印象があった。
相「TMさんは、51年間お母さんの名前知らんかったんや」
TM「いやあ、初めて知ってショックを受けました」
相「どんなショックなの?」
TM「(母を)一度ゆっくり訪ねて見たいです」
相「ということは、もうマイナスの感情では無いということやろね」
TMさんの両親は彼が生まれてすぐに離婚しているらしい。父親は20年前に死亡し、1つ違いの兄がいるけれど事情で会えないと言う。金銭が絡んでいるのだろうか、いまだ折り合いがついていないようだ。
別れ際にTMさんがつぶやいた。「でも今ごろ母親の名前がわかってもしょうがないし…」 内面で折り合いのつかないいとしさと憎しみをこらえているのかも知れない。
12.解決と留保のあいだ
TMさんと話し合ったあとすぐにS君(前出)が気になり始めた。弁護士相談には行ったものの、弁護士には話しが出来ないまま問題を抱えているのではないか。TMさん同様の強迫的な恐怖をもてあましているのではないのか。私はリフォーム店長に連絡をし、S君と再度話し合いを希望していることを伝えた。TMさんと別れた約10日のち、店長にも入ってもらい3人の話し合いを持った。
[『くらし応援室』周辺の居酒屋にてS君、店長、私の3人で ‘04年11月中旬]
相「弁護士事務所に行ってからだいぶになるけど、あれから行ってないんやて?」
S「行ってきた」 相「指示した書類が届いてないって弁護士さん言ってた。『S君どうなってんねん、あれから1回も顔出してない』って先生言うてた」
S「……………」 相「嘘はやめとこや、すぐわかるんやから」
店「Sちゃん、何かあるんやったら早よ言うとこ」
S「……………」
相「言いにくい借金かなんかあるん?」 S「友だちから金を借りてる」 相「どこの友だちなん? どれだけ借りてんのん?」
S「……5〜6年前、まだW県T市にいたときの友人に。5万借りてる」
相「友だちか。たったの5万くらいやったらごめん言うて返したらおしまいやん」
S「それがただの友だち違うねん。元ヤクザやから怖いんや」
相「元ヤクザ? その人今何の仕事してはるのん?」
S「T市でスナックのオーナーしてる。オーナーも何をしよるかわからん男やし、取り巻きの若いもんらにどんなこと言うとるかわからん。……仁義欠いてたからな」
相「それやったらオーナーに返済の連絡して、全額に多少のプラスアルファーで返済したらええやん。それで仁義がなりたつやん」
S「そんな人間違う。何をされるやわからん」
相「そんな時は警察に訴えればいい。この前のとおり弁護士に話してもいい」
S「賑やかなところを歩くのも怖い。どこかで見つかるような気がする」
ここから先は「オーナーは何をするのかわからない人間だ」という繰返しになり、 今にも元ヤクザが乗り込んでくるというような妄想と強迫感に満ちている。これは前出TMさんにも共通していた表情である。
借りたものを返済しない、返済せずに遁走する。それは義務感を失したこと、人間としてあるまじきことと責め立てながら、見つかければ再遁走と自らを追い立てる。 そのたび妄想だけが膨らみ、解決の糸口を想像することさえ避けるのだ。S君はそうしてT市からW市へ、その後大阪市内へと遁走を続けテント暮らしという独自のシェルターにひとときの安息を求めていた、と私には見えた。このような遁走者は、野宿をしながら一定の割合で存在すると考えられる。
弁護士にも心配をかけているし、再度弁護士事務所に今までの経過を説明して、早くすっきりしようということになり、11月下旬、S君と再びY弁護士事務所に同行することになったが、この日はTM君の第2回目の弁護相談日でもあり、2人同時にY弁護士事務所へ同行することにした。
TM氏の手続きは順調に進んでおり、何より前回の弁護士からの説明でTM氏の恐怖心が大きく薄らいでいたのが印象的であった。しかも手続きに積極性が現われ、積極的に資料となる書類を捜し出し、あるいは詳細のわからない債務先の住所を図書館などで検索して提出し、弁護士の手を煩わさせずに済んだ。その後、年末までにはあらかたの作業は完了し解決の方向に踏み出しつつある。
一方S君も弁護士から心配する必要の無いことを告げられる。例えば「大した金額でもないのに、ヤクザが遠方から取り立てするような不経済などしない」。また「そんな金額で君に傷害など与えて訴えられたら元金以上の損害になる」。そして「住所設定することで君の居場所が明確になることはメリットと考えること。こちらとしては債権者の情報がわかるし、一挙に債務処理が行えて免責にもつながる」など私が言って説得できないことも、専門家の一言で大きな安心をS君は獲得した、ように見えた。
翌日から手続き準備をしようと働きかけをしたにもかかわらず、S君は「わかった」と言いながら1日延ばし、2日延ばしし、その都度呼びかけを試みても「仕事の段落のついた頃に連絡します」という言葉のまま、第2回目の弁護士事務所に行く手前でまたもやるべきことを留保してしまった。店長から彼への説得を依頼しているが、‘05年も明けて、彼からの連絡はいまだに無い。S君は自分の目先の課題さえ解決する気持にならないのだろうか。TM氏の気持とどう違うのだろう。
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[注19]
扶助協会:正確には法律扶助協会(本部東京)と呼ばれる。経済困窮的な理由から、裁判を起こすことが出来ない市民に、弁護士費用を援用する。日本弁護士連合会(日弁連)の弁護士から支援の費用を徴収する。
[注20]
時効援用:法人のローン会社から借りた金を最後に支払った日(弁済日)から数えて5年間を経過した時点で時効が援用される。 |