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NPOや共生社会についての時評を月2回更新でお送りします!


タイトル カマタウンの野郎ども ―伴走のエスノグラフィ―
著者 佐々木敏明
連載 解説 序章 第一章 第二章 第三章-1 第三章-2 第三章-3 第三章-4 第三章-5 第四章-1 第四章-2

第四章 回帰【その2

4.回帰 ―私の実験はいまだ途上―

 そうした矢先の‘05年1月15日、T君(前出)の連絡が途絶える。T君は新年はじめ私の事務所を訪ねて来ている。

[『くらし応援室』にてT君と `05年1月5日]
T「会社の作業が、1月中旬まで閑になるから、正月遊んでるより仕事しますわ」
相「どんな仕事?」
T「1月15日までの仕事やから終わったら帰ってきます。飯場仕事ですわ」
相「『B工業』さんの仕事が動くまで待てない?」
T「ドヤの宿賃滞納しているし、滋賀県での仕事見つけたから行ってみます」
相「遠方やな、前に行ってた岐阜とそう変わらんやん。遠いとこ行かんでも」。
 この後、例の如く本題とは関係なく、取り留めのない話しが続くので、T君の滋賀行きの意思を尊重した上で、旅費はあるのかと確認した。
T「なんとか行けます。向こうに着いたら連絡します」
相「必ず連絡すること」
T「(メモ帳に)連絡すること、と。わかりました」
 しかし連絡が無いままであった。本人の携帯電話も使われていないと言うメッセージに変わっていた。既にK課長からも連絡が入り、T君の作業予定を組み込んでくれていた。1月22日夕刻、商業施設「K」の清掃担当者であり、2年以上の勤務を続けるT君の最も親しいMさんから電話が入った。「T君どうしてる。昨年暮れに金を借りに来た。わしは貸さんかった。それ以来連絡がない」との心配からである。T君がMさんを訪ねたその日とは、彼が私を訪ねたすぐ後であることがわかった。
1月24日午後、T君が何食わぬ顔で事務所にあらわれた。

[『くらし応援室』にてT君と `05年1月24日]
T「(大声で)ただいま帰りました」
相「何がただいまや、何で連絡してけえへんねん。皆心配してるやんか」
T「すんません。携帯代滞納してつながらんかったんですわ」
相「電話ぐらいどこでもあるでしょう」
T「向こうえらい雪でね。親方がお前ら金ないやろ言うて、最初の仕事が終わった日に仮払いしてくれよった。あれが助かった。全部で6万円ぐらい稼いで大阪に帰ってたまってたドヤ代払て、携帯代も払ろてしもたら殆んど残らへん」
相「そんなこと聞いてへん。僕は、君が会社や君の大切な友だちに連絡したかどうかを聞いてんねん」
T「おかしいな、……連絡したと思うんやけど。携帯こわれたと思て、何回も携帯のボタン触ってたんやけど」
相「誰も君からの連絡は受けてないと言うてる。大切なことは必要な人に連絡しないかんの違うん?」
T「(メモ調を取り出し筆記する)大事なことは連絡すること、と。ほかに大事なこ
とはないですか」
相「もうええ、君はこの前来た時も<連絡が大切>と書いてたやないか。ええ加減に
せんとあかんで」
T「注意します」
相「とにかく必要な人全員に連絡しときなさい」
T「わかりました。連絡しとかなあかんかったんや」

T君が事務所に戻って来たこの日、あと2人の訪問者があった。一人は『自立支援センターおおよど』相談員の頃よく話しをし、その後私の清掃作業のリーダーで参加もしてくれたSA君だ。就労、再野宿を繰返し不明状態になっていたが、電話はよくくれていた。今年41歳になる彼は「もう一度仕事を本気でしたくて相談」に来た。
もう一人は、第1章で遁走したHちゃんである。Hちゃんの出現はとりわけ嬉しかった。もう3年にもなる。元同僚であるM巡回相談員が彼を見つけ連れてきてくれたのであった。

[『くらし応援室』にてHちゃんと `05年1月24日]
相「何所にいてたん?」
H「いつもの大阪駅バスターミナルのとこ」
相「あそこ何回か見に行ったけど会えへんかったなあ。あれからどうしてた?」
H「時おり人夫出しが来て飯場に連れて行かれて仕事してた。もう仕事が少なくなってきた。やって行かれんから」
相「前のこと聞いて悪いんやけど、最後に無断でやめた店はどんな理由でやめたん?」
H「店のオヤジさんが、僕担当の仕事を作ってくれたんやけど、僕は初めての仕事やし、失敗出来んと思って悩んで逃げてしもた」
相「オヤジさんは,君のために考えてくれたんや。だから多少失敗しても納得づくで、君が修行出来るようにしてくれたんと違うやろか」
H「あっそうか……」
相「誰だって始めから上手く仕事出来るわけないよ。君の仕事への努力を期待してはったんやでオヤジさん」
H「…………」
相「正直なとこ、M相談員も僕もあれから大阪駅へ探しに行ったりしたけど、随分心配してたんやで。また会えてよかったけど」
H「ありがとう」
 私はこのあと、『簡宿W』のオーナーにHちゃんの宿泊を依頼し、続いて『B工業』に作業スタッフの欠員がないかどうかを確認したうえで、SA君とHちゃんの雇用を依頼した。夕刻、ドヤへ同行中の道のりで、Hちゃんはボソッと誰に言うことなくこんなことを言った。「僕のことこんなに考えてくれる人がいるということ、今まで考えたことなかった」
 
 母親との死別や、幼い妹との別離、養護学校卒業と同時に社会に放り出された後のHちゃんが、順風満帆に社会と交わっていたとはこの言葉を聞いて想像しがたい。突然店をやめた理由が自信の無さと無気力を表しているし、これまでどんな局面でも達成感を得ないまま生きてきたことが透けて見えるのだ。実はこのあと「誰も信じることが出来なかった」と続くのであるが、小さい頃に別れた妹には、格別な気持を持ち続けるところは男の役割感を感じてしまう。
 鍋島が、男女の自尊感情を「たとえば男子の孤立感『家の中で私のことを心配してくれる人は誰もいない』ということに代表され、女子は『よく他の子にいじめられる』に代表される。いずれも孤立感を持つタイプの子は圧倒的に少数なので断定できないが、男性が家族の関わりに依存し、女性が世間とのかかわりに依存する傾向がこうしたところにすでにあらわれているのかも知れない」(鍋島祥郎 p.60)と文化的な役割分業観を語っている。私は、Hちゃんの心の中で、失った家族への喪失感と、社会への孤立感が人間への不信感を大きく広げていったように感じるのだ。何せその後大阪駅での3年間は、殆んど人とのつきあいがなかったという。

私の作業の成果を誇らしげに公開できるものはまだ無い。途上遥かが実感ではあるが、これまで遁走してきた男たちが、私の事例ではあるけれど回帰してくる場面に遭遇した。それは、これまで互いの関係に時間を費やしてきたことへの証左であったと思いたい。男たちの回帰が、ひと時のものか永続するものなのかはわからないが、少なくとも男たちの“寄港先”を提供しているということならば、それが、今の私の役割なのだと考えている。

2005.1.31

あとがきにかえて
約半年間の長きにわたり、わが拙文をご愛読いただき感謝いたします。「カマタウンの野郎どもー伴走のエスノグラフィー」は今号を持って完了いたします。「よみもの」
掲載中には多くの読者から反響がありました。大阪市立大学大学院創造都市研究科・都市共生社会分野ならびに大学院鍋島先生のご助力がなければ、私の修論がこれほど広く読まれることもなかったと思います。これからも続編としてのエスノをと鍋島先生からのお話があり、私も続けていく決意でありますが、現在、いわゆるニートといわれる青年たちとの合宿生活を続けているため、定期的な執筆活動が難しい状況です。この問題もまた野宿者問題に通底するものとして関わりました。この活動から、より多元的視野を養い、自らのフィールドを掘り起こしていく所存です。一定期間お休みをいただければ、青年たちとの生活に波及するレポートを見ていただけるかもしれません。その折には再びご愛読をお願いすることになると思います。

2006.2.28

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大阪市立大学都市環境問題研究会『野宿生活者(ホームレス)に関する総合的調査研究報告書』 2001
ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』(熊沢誠・山田潤訳)ちくま学芸文庫 1996
五十嵐太郎『過防備都市』中公新書ラクレ 2004
熊澤 誠『女性労働と企業社会』岩波新書 2000
渋沢 望『魂の労働』青土社 2003
鍋島祥郎『高校生の心とジェンダー』解放出版社 2003

I.イリッチ『シャドー・ワーク』岩波書店 1990

 

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