大阪市立大学 共生社会研究会

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 トップページ > よみもの > 10月16日第2号  


NPOや共生社会についての時評を月2回更新でお送りします!


タイトル カマタウンの野郎ども ―伴走のエスノグラフィ―
著者 佐々木敏明
連載 解説 序章 第一章 第二章 第三章-1 第三章-2 第三章-3 第三章-4 第三章-5 第四章-1 第四章-2

第一章 遁走

1.Hちゃんのこと

 当時巡回相談員は通常2人一組で行動していた。私はMという女性相談員と行動していたが、彼女との連携作業はとびっきり順調で楽しかった。'01年6月中旬、大阪駅前バスターミナルで27歳の"Hちゃん"に面談した。彼は色白で寡黙な青年だった。以下第一章のインタビュー記事中の「相」とは相談員Mと佐々木のことである。

相:「これまではどこで働いてたん?」

H:「市内の寄宿舎つきの仕事場で食べ物屋の仕事をしていた。そこを数日前に飛び出してこの辺で野宿をしている」

相:「会社を何で出たんやろ?」

H:「同僚らからいじめられたのでいやになった。所持品なんかはそのまま置いてきた」

相:「これからどうしょうと思う?」

H:「別れた妹に会いたい。どこかの養護学校にいるはずだから探し出したい」

Hちゃんは幼い頃に父母が離婚し、母、妹たちと北摂のT市で暮していた。中学生の頃母が病死し、兄妹が別々の児童養護施設に入れられ家族は離散した。中学校を卒業した彼は仕事につくが、その後会社の倒産や自らの事情で転々とする。

H:「どこ探したらいいかわからんけど、とにかくお金をかせいで見つけたい」

相:「そしたら『自立支援センター』に入って仕事を探し、うまくいったら妹さん探しをしょうや。僕らも約束するで」。

 仕事探しはともかく、妹探しは相談員としては余計なお世話なのである(とくに巡回相談事業にとって)。しかし私たちは、それが当面のゴールだと思ったので、自然にその後の妹探しまでを引き受けてしまった。このあと数日後、彼は『自立支援センター』に入所が確定した。1ヶ月を過ぎた頃、仕事が決まったというセンターからの連絡で私たちはHちゃんに会いに行った。若い野宿者ということと、妹探しが所長やセンター相談員の関心を引き、私たちと彼との逢瀬をバックアップしてくれた。これらのことは私たちの都合である違法行為に付き合ってくれたいわば"共同正犯者"であった。多くのセンター入所者がいる中で限られた者への応接が許されているのだから。

[ラーメン店でHちゃん、M相談員と '01年7月中旬頃]

相:「よかったね。妹さんに一歩近づいたやんか」

H:「ありがとう。何とか決まったみたいや。がんばるから」

相:「Hちゃん、どうでもええけど、いつ会うても大阪駅前で会うた時の服やんか。服洗ろてるんか? 服ぐらいセンターでわけてもらいや」

H:「洗ろてる洗ろてる、大丈夫や」

相:「センターの中の生活はどうなん?」

H:「僕が一番若いからみんなが可愛がってくれてるみたいや.うまいこといってる」

 私たち相談員は、彼らの要求を感じ取らなければならないと思っている。セラピストやカウンセラーなら、自らの会話を極力抑制しながらクライアントの言葉を優先し治癒に専念する。少なくともクライアント主体で診療されるのだが、私たちの"クライアント"は寡黙で表現下手な連中ときている。その上我々の行動が(彼らから)"世話焼き""面倒見屋"と見られる側面があるため、私たちが多くの質問や会話をして情報を確保しようと必死になる。しかし、ここにこそ私自身の訴求性があるのだと信じている。

  この頃のHちゃんは元気そうで、私たちと会う時は笑顔で接してくれた。しかしそれから2週間を持たずして仕事をやめたとセンターから連絡が入る。やめた原因はわからず、彼も詳細を語らない。それでも時折会う時はちょっと申し訳ないような顔をしながらも元気を装い、「次を探すよ、頑張るから」と言って私たちを逆に励ました。
そんなある日、センター相談員が「梅田の飲み屋さんの店員に決まったようです。夜の仕事です」と連絡が入りM相談員と二人でHちゃんに会いに行く。彼は希望を持っているように見えた。

[鶴見橋商店街の露店喫茶でM相談員と '01年7月下旬]

H:「心配かけたけどやっと決まった。今度は何とかやるから」

相:「うまくいくとええね」

H:「いつか2人をお店に招待するからね、僕のオゴリで。世話になってるもんね」

相:「うれしいなあ、ホンマ楽しみにしてるで」

2.消えた男

  この日の会話がHちゃんとの最後の会話になってしまった。数日後センターから彼が姿を消したままになっているという報告を受けた。雇用先へも黙ったままだった。私たちはHちゃんの勤務先での会食を楽しみにしていたので絶句した。夏が盛りを誇っていた頃、彼は私たちの前から突然消えてしまう。彼は再び遁走をはじめた。大阪駅前での私たちとの遭遇は彼の数ある遁走の風景の一つに過ぎなかったのか。

  誰にも言わず遁走するケースの中で想像できることは、遁走こそが生活の核になっていると思われるのだ。その場から逃げる・離れる・関係を断つことを最適とする姿勢である―関係が悪化する家族や知人への嫌悪、多重債務や取立屋に対する恐怖、会社のいやな同僚や上役への反発、ギャンブルやアルコールの依存ーそれは、労働力を駆り集める人夫仕事や 雨が振れば中止の日雇い労働に見られるその場限りの日払い習慣にも起因しているのではないだろうか。その日1日が終われば日当が入り、いやな職場ならすっぱりやめて次の飯場へ移動する。つながらない生活が断続する。

 現在フリーターなどと呼ばれる階層も全く同様な方向性を指し示す。短期労働・期間限定・刹那的労働が、その後の生活習慣を変化させ独自の技能や技術の習得さえ難しくさせていく。「人夫仕事」と「派遣仕事」(注7)の通底は、フォーマルな生活から逸脱した連中のハンディーを見越した、搾取(ピンハネ)を容易にさせていることにある。

 「早くから自分の『学力のほど』を思い知らされ、その分に応じてなにごとをも耐え忍ぶ覚悟を身につける生徒たちがいるとすれば『下働きの身分をわきまえること』となる」(P.Willis p.451〜452)と著書の訳者たち(熊沢誠・山田潤)が言うように、フリーターや派遣社員たちのわきまえを利用しながら劣悪な環境や低賃金を正当化する。フリーター問題をここで論述する余裕はないが、野宿者予備軍となりうる共通する搾取構造の素地を訴えておきたい。

 Hちゃんのケースは、巡回相談室室長、自立支援センター所長、相談員、当時の私の同僚たち、センター入所者らが若者を野宿地に戻さないという一点で応援した例であるが、それでも消息を断ちその後再会を果たしたものの再び遁走を繰り返すことになる。全ての接点を無用にしてしまう彼自身の闇とは何だったのか。私たちのサポートに課題を残してしまうのである。
私について正直いえば、彼の両親の離婚が私が自ら犯した離婚に重なり、子ども自身の辛苦を想像した時,Hちゃんへの共感につながったことは確かである。野宿する当事者への共感がその後の作業を推進する基礎になったとも言える。かつての自分の生き方を彼の中に投射し、遁走する野宿者を自らに引き寄せていることが基本になっていることは間違いないと思う。共感が想像力を生み野宿者支援につながったのだと考えたい。
 
  なおその後のHちゃんの消息については追記がある。再会後、就労を果たし、居場所の確保も出来た。彼との約束であった妹探しも始めた。にもかかわらず彼は遁走をやめなかった。自分勝手、わがまま、辛抱が足りない、不自由がいやなど周囲はいろいろ騒がしいのだが、遁走することも彼の生活の一片だと私は思い始めてきた。戻ってくる場所がここなら、それが「くらし応援室」の役割でいいと思うようになった。
彼のこれらのエピソードは、後半に稿を改めて記述することにしたい。

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[注7]

派遣仕事:労働者派遣事業者(派遣元企業)が、労働者をほかの企業(派遣先企業)に派遣して、その派遣先企業における業務を遂行させる仕組み。被派遣者にとっては二重搾取構造を強いられるうえ、正社員および派遣社員間の格差や非対称性を形成することがある。何よりも派遣先企業の都合独断が優先されやすい。


 

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