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タイトル 共生社会と人権
著者 鍋島祥郎
連載 第1回 第2回 第3回

第3回

フランス暴動とゼロトレランス 〜学校がもたらす社会的排除を考える〜

 教育を受ける権利はすべての子どもが持つ基本的人権であることは、いうまでもない。しかし実際にこれを保障するのは難しい。学校に在籍させていさえすれば保障したことになると考える「機会の平等」論から、一定水準の結果を伴うべきとする学校のアカウンタビリティ論への移行などの問題がこの議論の中心だが、今回は「落ちこぼれ」や「荒れ」や不登校というかたちで、多くの子どもたちが学校に背を向け、まるで自ら権利を放棄しているかのようにふるまう事態について考えてみたい。権利の主体が、権利を放棄するかのように見えるこの事態の背後には、社会的排除というもう一つの問題が横たわっている。フランス暴動を手がかりに学校がもたらす社会的排除について考察しよう。

1.荒れる子どもたち

 世界中どこの学校でも子どもたちの「荒れ」は存在する。だが今回のフランスの若者たちの荒れは、文字通り桁違いであった。「きっかけは10月27日にパリ北東、セーヌサンドニ県の変電施設で起きた少年2人の感電死事件。2人は警官に追われていると思い、施設に逃げ込んで感電したとみられている。事件以来、警察に反発する若者らが連夜暴動を起こし、近隣地域にも拡大。これらの地域には北アフリカなどからの移民とその子供たちが多く住み、他地域に比べ失業や貧困、犯罪が格段に深刻だ。治安維持を担うサルコジ内相が騒ぐ若者たちに対して「社会のくず」などと発言して怒りを買ったほか、モスク(イスラム教礼拝所)に催涙弾が投げ込まれる事件も重なり暴動を後押しした形(共同通信、05年11月3日)。」そしてこれ以降も暴動は拡大し、フランスは夜間禁止令などの強権的措置を含む緊急事態法を適用する一方、15日にはシラク大統領がテレビ演説において今回の暴動を「フランスのアイデンティティにかかわる危機」と呼び、移民社会が直面する差別という「毒」と闘うことを誓った(毎日新聞、11月15日)。

 この問題の背後に移民に対する差別、学校での落ちこぼれ、青少年犯罪、そして雇用差別の問題が大きく横たわっていることをマスメディアもようやく本格的に報道しはじめている。移民をはじめ「社会的な貧しさ」の中を生きる子どもたちが社会的に排除されていく「エクスクルージョン」は、ヨーロッパ社会が抱え続けてきた問題でもある。

 エクスクルージョンは学校の日常においては、「しんどい子ども」の落ち着きのなさとして現れ、やがて態度、服装、行動における様々な「荒れ」へとエスカレートする。そうした子どもたちを震源として学級崩壊や学校崩壊が起こる。フランスの暴動はそれが「国の崩壊」とも言える規模に発展したかたちだ。

2.ソーシャル・エクスクルージョン(社会的排除)

 フランスを震撼させた若者たちの「荒れ」は、対岸の火事ではない。日本でも着々と若者の間で「荒れ」へとつながる状況が蓄積されている。西田芳正(大阪府立大学)らの調査に基づく『排除される若者たち―フリーターと不平等の再生産』などの本に詳しく報告されているが、生活の不安定が学力不振をもたらし、将来への不安感がいらだちや露悪的な人生観を醸成する。そしてそれに対してなんらサポートはされないどころか、教育財政はますます削られる一方である。その圧力に耐えきれない学級や学校は、崩壊せざるを得ない。社会的排除は確実に進んでいる。だがその痛みを層としてもっとも大きく背負うのが、痛みを痛みとして社会に発することの難しい子ども、若者なのである。その声は、よく聞かないと聞こえない。そしてよく聞かないと、子どもたちは荒れる。いまここにある危機に対する政治の鈍感さは、フランス当局の慌てぶりによく現れている。日本の政治家がフランスの方々より賢いことを祈るばかりである。

3.ゼロ・トレランスという恐怖

 フランス暴動の背後には教育におけるもう一つの政策的問題が隠されている。子どもたちが荒れ始めると、大人たちがまっさきに考えるのが「厳しいしつけ」である。むろんそう考えるのがまちがいというわけではないないが、厳しいしつけだけを「厳しくしつける」という名目で振りかざすとどうなるかということも、今回の教訓ではあるまいか。

 暴動の火に油を注いだサルコジ内相は、ゼロ・トレランス政策で名をはせた人物である。「情状酌量」という曖昧な態度こそ犯罪を増やすという理論のもとに、犯罪に対して厳格な法の適用を強調するやり方である。実際に目先の犯罪件数は激減し、フランスでは人気を博した。だがむろん摘発の対象となる「荒れる」青少年たちにとって、この政策は大人たちの一方的なやりかたでしかなく、内相はいやな大人の象徴であったに違いない。

 もう一つ忘れてはならない「トレランス(寛容さ)」を欠く教育政策が、2004年に制定された公立学校における宗教的シンボル禁止法である。十字架の装身具も禁止の対象であったが、イスラム教の女子生徒のスカーフ着用が主たるターゲットなのは衆目の一致するところである。フランス共和国は、政教分離の原則を厳しく守り、フランス人は何らかの宗教宗派の信者である以前に、共和国の理念に基づく国民であらねばならない。その理念も確かに大切なところだ。だが、植民地主義や移民政策によって都合よく招き入れた移民の子どもたちがどのような経済的、社会的、文化的困難におかれているのかも、同時に見るべきであろう。金も夢も持てない状況で生きのびる鍵は、アイデンティティではないのか。スカーフを剥がれる生徒の体感する寒さを暖める雇用促進法も、差別禁止法も与えられはしない。

 国家が校則を決めるというもっとも極端な中央集権的学校統制は、実はアメリカでもやっている。1994年に制定されたGun-Free Schools Act(学校から銃をなくす法)である。この法律は、各州が学校に対して「ゼロ・トレランス政策」を州法として制定することを義務づけている。レーガンもクリントンもブッシュも、ゼロ・トレランスを好んだ。

 ゼロ・トレランス法に基づく校則を持つ学校では、銃刀類を持ち込んだものは例外なく、一発で停学、退学などの処分となる。ワン・ストライク・アウト方式ともいう。こうして大量の子どもたちが一般の学校から排除され、更正施設へと送り込まれている。その多くがエスニックマイノリティや貧困層の子どもたちであることは言うまでもないだろう。

   実はこのゼロ・トレランス方式は、日本の政治家もたいへんお好きなようで、数年前から地方議会や国会などでも導入を求める議員の動きがあり、2005年10月には文部科学省がゼロ・トレランス方式導入の検討を始めていると報道されている。現場関係者に聞くところによると、文科省の役人が各地の教育委員会を渡り歩いてこの方式の宣伝行脚をしているそうである。やはり日本も同じ道をたどるだろうか。ルールに基づく指導は必要だ。だがそれには、ルールを破る行為に走る子どもたちの心理的背景を知り、その弱さを克服するための理解と対話もなければならない。その対話の欠落が生み出す事態から、いま、政治家たちは学んでいるのだろうか。

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