第三章
伴走【その2】
4.再会
‘03年6月、F氏(前出)は主としてビルメンテナンスを業務とする『B工業』(注16)に就労した。私が就労支援を看板としながら野宿者の働き口を探していた時、久しく失業状態にある人々の雇用に協力してくれた初めての企業が『B工業』であった。
「おはようさん、いるの? ちょっとあんたの顔見に寄ったんや」。
F氏が私の事務所に来る時に言ういつもの挨拶である。この時私は、彼のガス抜き作業を手伝わなければならない。
F氏の仕事は始めパートのような形態で、彼自身経済の不安定さが見えていた。そこでドヤのオーナーに頼み込み、給料が比較的安定するまでの間、割引料金の宿賃で、取りあえずのしのぎ場を設定してもらうことにした。彼は仕事場を確保したことではつらつとして仕事をこなしていた、と同時にオーナーの恩義に応えドヤのペンキ塗りなどを手伝ってオーナーから好評をえていた。
「全く関係のない仕事をさせてもFさんはちゃんとやってくれる。期待通りの仕事をする能力がすごい」と会社のF氏への評価も上昇していく。しかし収入の少なさもあって、私に借金をしたり、財布を落としたといっては無心を言いにきた。一方で昔から希望を持っていた山林の仕事をあきらめずにいて、『B工業』に必ずしも集中してはいない態度がほの見えていた。それでも暑い夏の野外清掃で真っ黒になりながら作業に精を出していたF氏は元気だった
「あんたに悪いけど山林には未練があるんや、もうしばらく『B工業』にお世話になった上で結論をはっきりしたい」とも言っていた。会社は「Fさんにはうちの作業を託したい」と私にも当人にも伝えていた。
「Fさんが納得するまでこのまま様子をみるしかないんと違いますか。僕は山林の選択肢もあっていい気がしますけど」。私はF氏の最終選択に注目していた。落葉が日増しに目立つ頃になっていた。
5.F氏の決意
正月休みを利用して、F氏は彼が望む山林のあるW県の知己を訪ねた。「少なくとも人気のない山林で暮らすことが出来るんか、なによりも山林の仕事で経済が成り立つのかを確認してくる」と言って年の暮れに別れた。‘04年1月初旬、彼は、W県での山林作業は不可能であることを確認して帰阪した。
「山林はきっぱりあきらめるわ。山で食うて行くんが難しいことがようわかった。納得することが出来てすっきりした。これからは『B工業』さんで頑張っていくのでお願いします」。それが新年の初めての会話である。
それを契機に会社はF氏を正職員として正式に採用した。辞令が出た1月16日の午後F氏から携帯に連絡が入った。
「真っ先に世話になったあんたに連絡したかったんや。社員にしてくれるらしい。ありがたいことです」。私は、F氏がここにきてスタートをはじめるのだと考えた。
F氏は入社以来、頻繁に面談に来る。そして中身は決まって上司であるM氏への批判、非難である。「仕事をしない、仕事の中身をわかっていない、ワシはあの男が嫌いなんや。なんとかならんやろか」と言いながら、最後は「M氏を会社はどない考えてるんやろ?」で落ち着いて帰っていく。
「わかった。会社と話してみるよ。それまでもうちょっと辛抱しよう。あんたの後輩も入ってきているし、会社もあんたを大切にしている。これからはリーダーになってもらわなあかんからね」といいつつ会社には何も伝えず、しかし相変わらずF氏は来るたびにM氏をののしり続けていた。
F氏の完ぺき主義は理解できるが、しかし、一方でM氏のように適度に横着で,いい加減に仕事をする(内実はF氏の誇張と思われるふしもあった)存在を私はどうすることも出来ない。ただ、彼の不平不満が、『自立支援センターおおよど』当時のF氏スタイルと変り映えがない、と思いながらもM氏をダシに、私との会話を楽しんでいるのだと思い始めた。もっと言えばF氏は「自分の能力はみんなが認めているし、自分も仕事を楽しんでいる。つまり自分の存在をアピールしながら問題を佐々木に提起している。会社には間接的に佐々木からも伝えて欲しい」と言う積極的なメッセージと感じることにした。
昔のF氏の不平不満は、一生懸命にやっているのに金が少ない、周りは馬鹿ばかりで救いようがないなどと退嬰的で全てがネガティブ発想であったために、聞かされた側は陰々とした会話という印象が強かった。とくに1月の正職員の辞令以降、月に1度の割合で話しをしに来る。決まってM氏が話題になることも共通している。しかしM氏という障害物は、F氏が今乗り越えるべき状況の真っ只中を意味しているのではないだろうか。これまでなら気にいらない会社を辞めていたであろう生活観を、今は払拭するためにエネルギーを使っているように見えるのだ。実際それ以降、徐々にだがM氏への話題が減少していくことになる。
彼が言ってくれたことで印象に残っている言葉がある。
「以前センターにおった頃、佐々木さんワシに言うたろう、生活やお金の価値をいっぺん変えよやいうて。あれよう覚えとるんやけどホンマやな。今ようわかる。違う考えしないと駄目やね」
6.聞き役
「嫌いなもんは嫌いでええやん。仕事をせえへん奴はせえへんで自然に淘汰されるよ。あんたも正職員やからM氏と同等の立場や。気にするほうがおかしいやん」などと私は無責任に突き放していた。
「聞いてもろてすっとした。おおきに。気にいらんけど明日から頑張ってみるわ」。こうして1ヶ月が巡ってくると同じ論議が再びむしかえされる。しかしF氏はいまだに『B工業』で勤務する。給料の安定のせいか最近は借金を求めてくることも一切なくなった。財布も「落とさなく」なった。
ところが‘04年5月下旬のことである。
「もうワシも限界や。重大決心をしたので聞いて欲しい」と言う。いつものM氏の問題に加え、「会社の中で重要な情報が伝わってこない。ワシを意図的に飛び越えさせて聞かせないようにしている。わしは一体どんな立場なんや。会社に貢献してるつもりやのに」。
F氏、あんたそれヒガミやで、と口に出しかけ引っ込めた。
この件は、ある作業員が健康面で問題あり、仕事を休んでじっくり静養したほうが本人のためだとして、会社が当人を1泊で静養地に連れて行き、そこで今後の方向を話し合うために実行されたことであった。これがF氏に漏れてしまった。同僚の心配をし、悪い条件や悩みを解消してやりたい、という正職員のF氏にしてみれば、事情はどうあれ自分に伝わらない情報のあることが不満であるのだ。先ずは俺に話すのがスジであろう、と思っているのだ。
[『B工業』のオフィスで ‘04年6月初旬]
相:「辞めるいうてもどこかに行くあてあるのん?行き先探さんと又テントやで」
F:「それは覚悟してます。しゃあない、自分で決心したから」
相:「わかった。辞める前に僕と部長とあんたの3人で話しをして、それで納得できんかったらあんたの通りにしたらええやん」
ということで数日後会社近辺の酒場で、本題中は酒抜きという三者会談が始まった。
[『B工業』周辺の居酒屋での会話 ‘04年6月上記の話し合いから数日後]
F部長(以下「部」):「 辞める言うて、Fさん、あんた昨日どない言うたん。社長の前で恩返しするためロールスロイス買おたるねん言いはったやん。あれは嘘やったん?それ昨日のことよ」
F:「今でもそう思ってますよ」
相:「ロールスロイスって何ぼするん。あんたはそんな金持ってんのかいな」
F:「難しかったら玩具のロールスロイスでまけてもらおうかな」
部:「Fさんは会社に必要な人なんや、作業員の人たちとの接着剤にもなっているし、今さらどこへ行くん。誤解やねんからあんまり気にせんとき」
F:「M氏が仕事せんのが気にいらん。あの人とは仕事をしたくないです」
部:「M氏のことは会社の方で考えるから。出来るだけ離れた場所で考えてみる」。
相:「あんたの話聞いてたらあんただけが正しい人みたいや。ひょっとしたらM氏に過剰な期待を持ってるんとちがうんか。自分が正しい思うたら自分以外はみんな悪人や。一寸だけM氏の心も想像してあげてもエエ思うけど。M氏は意外とFさんの真似が出きひんと思てうらやましがってるかも知れへんやん。M氏を認めてあげてや」
F:「絶対許せん。あいつといるだけでむかむかする」
部:「何とかするから」
それでも翌日からF氏は「職場復帰」した。
[F氏と電話で会話 ‘04年6月18日]
相:「Fさん,Kさんが大阪城のテントから『ドヤN』へ引越しすることになったよ。
今度の日曜日、一寸手助けして上げられるかな」
F:「ああ良いよ。Kさんはワシんとこにも遊びに来てくれてるし、よう仕事もする人やしね。僕、大阪城へ行きます。いつでも協力しますよ」
相:「ありがたい。Kさん喜ぶわ。僕も行くから10時ごろ『ドヤN』前で会いましょ」
F:「何人か助っ人来てくれると思うから、来んでいいよ」
相「ええがな。行かしてや」
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[注16]
B工業:ビルメンテナンス会社。障害者雇用を積極的に受け入れてきた経過を持つ。‘03年6月、『くらし応援室』との野宿者雇用へのコラボレーションがはじまり、60名以上を紹介し当事者雇用を実現してきた。現在(’05年11月)約40名が定着している。本年、府営公園における大阪府の「指定管理者制度」で住吉公園の管理委託を任された。又、B工業同様、野宿者支援に協力してくれているO興業も、住之江公園の管理委託を指定された。私たちの協働作業が、野宿者問題などへの社会的関心に結びつくのか否かはこれからの課題である。
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