第三章
伴走【その3】
7.生活習慣という“病”
S君(前出)は、約2ヶ月でテント生活から『リフォームセンター』に近い古い平家住宅へ引越すことが出来た。店長が見つけてきた物件である。‘03年6月末に賃貸契約をし、『くらし応援室』から頭金10万円を貸し出し、私が賃貸契約保証人になった。そして、その際連絡用として『くらし応援室』の携帯電話も貸し出している。早くテント生活から脱出してほしいと願っていた店長やスタッフもひと先ず安心した。S君の仕事への取り組みにも目を見張るものがあったからである。とくに、大工仕事は「S君一人に任せるくらい技術力は万全」という店長からの証言も聞いている。
そのS君が、時折無断欠勤すると『リフォームセンター』から伝えられた。こちらから携帯に連絡しても通じないので家に行ってみると鍵がかかっている。心配なので合鍵で入ってみると寝ている。何度起こしても起きない。やっとこさ起き理由を聞いても「腰が痛くて辛い」というだけである。「休むのはいいけれど連絡だけはしてほしい」と店長と私は伝え、「明日は出勤する」と言いそのまま休むS君を置いて家を出た。こんな状態が2ヶ月に1度はあった。
ごく最近、店長が「仕事の区切りが見えてきた時とか、自分の作業が完了した後に自分の判断で休む場合が多いように感じてきた」と話している。従来、自分の腕で稼ぐ日雇い労働などで日銭を稼いだり、一人親方で、比較的拘束度が緩やかな中で仕事をしてきた男たちにとっては、ある程度自分の置かれている状況に自由さを見出すと、簡単に“リタイヤ”状態を作ってしまう。それはサラリーマン社会が一定忍耐を強制する世界とするなら、自分都合の世界を現出していると言える。好きな時にリタイヤを繰り返す生活習慣“病”と言えるかもしれない、とは一般的生活習慣を持つ生活者からの見方であるのかも知れない。私といえば、それは自由を求める気分だと思ってきた。
病と言えば、長年身体を酷使する建築作業や雑業で稼いで来た男たちは、たいがい腰痛や下肢の不調を訴えている。また、重労働後の安らぎであるはずの酒飲の常用や、野外での厳しい生活から来る食生活のアンバランスなどでの内臓疾患は数え切れないぐらいに多い。とくに結核に関して西成(釜ヶ崎)は、全国平均罹患率(注17)の18倍の高率であり、発展途上国並であると言われている。
私はS君には「住居も出来たし、健康保険にも加入した方がいいので、住民登録しておこう。そのためには債務があるからまず弁護士相談するのが先決だ」とアドバイスを何度もしている。『大阪社会医療センター』(注18)に同行し整形・内科の診断にも受診させた。しかし、当人は積極的に住民登録も弁護士相談にも乗ってこないまま1年が経過した。
この間S君の生活習慣“病”は変わらず、店長の相談に「そろそろ1年を過ぎるのだから店長の判断で、S君の社会的自己責任を理解してもらい、皆の心配にならないよう説得してほしい」と訴えた。店長としては、仕事もさることながら地域の人たちとのコミュニケーションがよく、評判になりつつあるS君は、会社にとっても貴重な存在であるだけに、しばらくは様子眺めという気遣いもあった。実際スタッフ間でも好感を持たれ、突発性リタイヤの実行以外は仕事の段取りがスムースに流れていたのである。
‘04年3月初め、むりやりS君を弁護士事務所に連れて行き、これまでの債務清算に関する法律相談をした。その際利用した複数のサラ金会社名及び債務を洗い出し、免責に導くための手続きをしたのである。後は弁護士から指示されたとおり必要時に弁護士事務所に行くだけでよかった。
S君は、それ以降弁護士事務所に全く行っていないことが判明した。私が同行した数ヶ月後である。店長に問い合わせ、その後彼が弁護士相談を利用していないことがわかり、当弁護士に確認すると「あれ以来消息がない」とのことである。その後出来るだけS君に弁護士事務所に行くよう説得するのだが、行く約束をするものの実行されず、結局は11月中旬まで待たねばならなかった。
8.T君の不安定なこころ
T君(前出)は、岐阜の料理店だか旅館の住み込みをしながら雑役をしていたが、契約関係があいまいで、給料らしきものを支払われず、週に1度2万円ぐらいの小遣いを貰っているということがわかった。
[『くらし応援室』にて帰阪したT君と ‘04年4月頃と推測]
T:「社長は人が集るたびに『わしは野宿者を救助して仕事につかすようにしてる。野宿者を助けてんねん。T君は大阪で野宿をしていたから来てもらったんや』と言って自慢げに僕を紹介しよるんですわ。これは気分悪いし一寸考えてほしいんですけどね。この前なんか、君は一寸おかしいからと言うてIQテストて言うんでっか、知能指数みたいなの受けさせられましたがな。なんか失礼な感じでね」
相:「IQテスト?それどういう意味?」
T:「なんか知らんけど受けさせられたんです」
相:「いやな感じやな。それで給料なんかの条件は相変わらず?」
T:「週に2万ほどの小遣いですわ。メシは食わしてるし、寝る場所も与えてるいう気持でっしゃろな。寝るとこゆうても3〜4人がごろ寝するプレハブみたいなとこでっせ。ひどいとこです」
相:「就労時間は?」
T:「寝るだけです。朝から晩まで店にいてます」
相:「『自立支援センター』にも相談してるんでしょ」
T:「とにかく我慢して頑張れ言いはるだけです」
相:「前にも言うたようにそこ辞めて大阪に帰りや。大阪でT君の仕事が決まれば連絡するから」
T:「よろしく頼みますわ」 彼の話しはこんなものではない。この間、同僚の去就のこと、社長の愛人のこと、音信不通になっていた義理の兄貴が見つかって現在寝食ともに暮らしていること、従って自分と同じく同僚として雇われているのだが最近ガンで入院したこと、そのケアをしなければならないことなどなど際限がないのである。それにしても、社長はIQテスト(本当にIQテストだったのだろうか)を施したという。あのお喋りに閉口した上での社長判断だったのだろうか。
相:「それやったら兄貴をほったらかして大阪に来ることになるやん」
T:「そうですな」
相:「そうですなではあかんやん。兄弟なら面倒見てあげんと。その辺はどうなってんの。地域の福祉には相談してはるん?」
T:「ああそれは済んでます。近いうちに退院する予定やし」
相:「なおさら大阪に来られん」
T:「いや兄貴は認めてくれると思います」
相:「とにかくちゃんと合意してから決めなさい」
その後、数回のやりとりが電話であり、兄貴も病状が落ち着いており、「いずれにしても俺は俺、お前はお前の行く道があるから気にしなくともよい」という了解を得たと言い、T君は帰阪を諦めていない旨を伝えてきた。私は大阪での彼の受け入れをしなければならないと考え始めた。しかし、T君のあの脳天気さとお喋りはその後もずっと気になっていたのだが、心配はずばり当たってしまう。
9.「自分たちも貶められていたことがあるやんか」
私は約2年間の間、『B工業』との協力で40名余(05年11月30日現在74名)の男たちを採用してもらった。このうち遁走者は2名だが居場所は確認できる。自らの転職で退職していく者たちも比較的少なく、また当人の事情で辞めた者を再度受け入れることもありなので、現在約30名がそのまま定着している。就労率だけで言えば70%を上回る(05年11月30日現在69%)。
F氏(前出)はこの頃、『B工業』の先輩格であり、作業リーダーにもなっていた。本人の気持の中には古株であるがゆえに、社内的に発言力を強くしておきたいという希望はあったのかもしれない。だから私が送り込んだ作業スタッフに対し、いろいろ注文をつけたり苦情を伝えてくることもしばしばあった。
T君が岐阜から帰阪し‘04年9月中旬、『B工業』に採用されF氏のグループに配属となった。同じ支援センター出身者ということで、当初F氏は「任しといてください」と張り切っていた。しかし、1ヶ月前後を経過した頃から複数のスタッフたちから「Tは喋り過ぎで仕事を邪魔する」とか「あいつとは仕事をしたくない」という声を聞かされ続けることになった。F氏の相談はその集大成のようなものであった。
[九条商店街の喫茶店にてF氏と ‘04年10月中旬]
F:「あいつはイカンよ、仕事の邪魔ばかりしよる」
相:「何があったの?」
F:「作業中にでも話しかけてくるし、休憩中もお喋りが止まらん。相手せんかったらスポーツ紙見とる。どうせ競馬や。作業場までスポーツ紙持ってくるのが不謹慎です」
相:「T君は岐阜で厳しい環境を強いられていたから、久しぶりに大阪で給料もらえる仕事をして嬉しいんや。だから今はしゃいでいるんだと思う。もう暫く様子見てあげてほしい」
F:「毎日あんな調子もんと仕事しとないです。あんなんが同じ給料だとおかしい」
相:「だったらどうしろというのん。僕に人事権はあれへんし、君から会社に相談して見たらええんとちがう?」
F:「会社には相談してます。ラチがあかんのです」
相:「じゃあ僕からもT君について会社に話しをしてみるけど、のけ者にするのはやめとこや、彼の神経が興奮してるのかも知れんし。今まで自分たちも貶められていたことがあるやんか」
F:「それはようわかってます」
[『B工業』事務所にて部長と ‘04年10月下旬]
部長(以下「部」):「Tさんのことは聞いていますよ。確かによくお喋りしはる人やけど。同じことFさんからも聞かされました」。
相:「他の人と同じ仕事をしながら給料が同じというのはおかしい、と言うのです」
部:「うちの会社は、全て給料は同じ条件で対応してます。仲間はずれをするみたいなことは社風に合わないし、Fさんにはそんなことを言ってほしくない、と言った」
相:「違いは支えて行こうって言ったんです。自分たちも差別されてきてるし」
部:「うちのスタッフは全員支えられているけれど、私自身も皆に支えられている。もしTさんが今の作業現場でうまくいかなかったら、違う場所に転換してもいい」
相:「それは賛成です。駄目ならいろんな方法で試せばいいですね」 この時期,私が通う大学院の教員であり臨床心理学士でもあるH氏にT君の件を相談したことがある。間断なくしゃべり続けること、話しに脈絡が無いことも多い、当人への注意に対する反省は素早いがすぐ忘れるのか、無自覚なのか同じ繰返しが多いなどに対し、サイコセラピーの必要性を説かれたのである。私はそれでもT君に病院への診断を言い辛く延ばしていた。
[『くらし応援室』の事務所でT君と ‘04年11月初旬]
T:「わしFさんと相性が合わないのんと違うやろか」
相:「何で?」
T:「リズムが合わん。急に怒鳴りつけられたり、パチンコ玉を頭に投げつけられり」
相:「理由も無くFさんがそんなことせんやろ」
T:「僕は久しぶりの大阪やから仕事がワクワクしてますねん。そやから自分のペースで仕事することになる」 この後,突然母親の話しになる。
相:「母親は目だけが見え、声も出せず耳も聞こえず、だから人にはヘイヘイ腰低くして相手の言うなりになっていたけど、相手が通り過ぎたら僕に『あいつは嫌いな人間や、嫌いな奴とは付き合ったらイカン』といつも嫌いであることを手であらわしていた。母親の喋れない恨みを僕が引き受けて、お喋りするようになった」
相:「自分のペースで仕事してたら、あっちこっちへ行って皆がいる仕事場と離れ離れになるんと違うん?」
T:「楽しいからお喋りしてしまう」
相:「喋りたい人と喋りたくない人がいると思う。喋りたくない人には無理に話しせんほうがええと思うよ」
T:「わかりました。仕事中は黙っときます。明日から喋らないようにします」
相:「休み時間も皆ゆっくりしたいんやから、話されると重たくなる人もいるかもしれないね」
T:「言葉の暴力はいやです。ここは軍隊みたいなとこやからちゃんと命令に従わないかんとか強く言われる」
相:「誰がそんなこと言うてんのん?」
T:「Mという人です」
相:「ここの会社は軍隊みたいなとこと違う。上下関係や先輩後輩を強調する会社になってへんよ。M君も君も同等や。そんなこと言う人の勝手都合ないい分や。もしそんなんが当たり前になっているんやったら確認しとく。それにしても、君のお喋りがお喋りを必要としていない人にとっては、言葉の暴力になっているかも知れないよ」
T:「わかりました。明日から気をつけます」
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[注17]
結核の罹患率:『野宿考ジャーナル なにわ路情』2号 4面「こちら路上医療相談室」
[注18]
大阪社会医療センター:原則的には釜ヶ崎を拠点に仕事をする日雇い労働者で、金の工面が出来ない者が病気やけがをした場合、市立更正相談所または西成労働福祉センターが窓口となり診療依頼書を発行する。『大阪社会医療センター』で受診できる。治療費は貸付になるがほとんどは回収不可能と言われる。 |