大阪市立大学大学院創造都市研究科都市政策専攻都市共生社会研究分野

co-existing.com
修士課程 博士課程 フォーラム・シンポジウム お問合せ
予定表 教員紹介 リンク メンバー専用
 トップページ > ワークショップ実施一覧 > レポート

2007年度 都市共生社会研究分野 第4回 ワークショップ

「セクシュアルマイノリティとしての政治参加」−「虹色」の社会へ

尾辻かな子
2007年5月8日

第1セッションー尾辻かな子氏から

 「虹」とは、ゆるやかな結びつきを維持しつつ、しかし、決して混じり合わない性の多様性のシンボルであり、解放のシンボルでもあると語る、尾辻かな子氏をゲストに迎えての今回のワークショップ。それは、尾辻氏自身が自身のライフストーリーを語ることから始められた。
 小学校では、周囲の女友達のように男性に対しての恋愛感情がわかず、日常的な会話等で周りの人とあわせることが辛かったそうである。中学生になると、「尾辻は中性だ」と言われ、いじめの対象となる。他の人とは違うな、と感じはじめるものの、マイナスイメージを注入されていた「レズビアン」ではないと、周囲にも言い続けていたという。「レズビアン」という言葉だけは知っていたが、自分の周りに「見えるレズビアン」がいなかったため自己認識しにくかったのだと言う。大学入学後は、なぜ自分は「普通」ではないのか、異性と恋愛できないのか、という疑問を持ち始める。同性への恋愛感情に気づくものの、それを認めると社会から排除されるのではないかという不安があった、と語る。ホモフォビア(homophobia)が強かった、のだと。
ホモフォビアとは、同性愛嫌悪を意味する。セクシャルマイノリティの存在を身近に感じていない人は、感覚として同性愛者に対して悪いイメージを持ちやすい。その原因はメディアなどに形成されたイメージもあるが、漠然とマジョリティの側がマイノリティを排除してしまう感覚や、マイノリティに対する無関心に起因している。頭では分かっているつもりであっても、感覚として理解できないのである。漠然としたイメージだけが先行してしまうという状況が、根拠のない嫌悪感をもたらしてしまう。
「カミングアウトは2回ある、それは、自分自身へのカミングアウトと、親しい人へのそれである」。尾辻氏はそう語る。23歳の時、自分へのカミングアウトを決心する。それはまた、レズビアンとして生きる人たちを知る、という行為へと導かれることでもあった。結果、人間関係にひろがりが生まれ、自身のホモフォビアが消えていった。そこで尾辻氏は、「思春期のやり直しをしよう」と決意した。自己肯定の感情が増え、多様な性に対しての知識も得ることができるようになった。
 政治の世界へ足を踏み入れる、という考えはどういった経緯で生まれていったのか。尾辻氏の語りはこのようなものである。
同性愛者であるという自己認識を持っていても、社会の中では異性愛者として振舞わねばならない。なぜならば、この社会は異性愛しかないという前提で作られているから。「クローゼットに隠れる(カミングアウトをしないこと)」ことを強制させられてしまうのは、自分たちの側に問題があるのではなく、異性愛しかないという前提で成り立っている社会制度や、偏見のせいである、そこにこそ問題があるのだ。尾辻氏はそう気づくのである。次の世代にはこのような思いはさせたくないという強い思いが、議員インターンを経験していた尾辻氏を、政治の世界へとたぐり寄せた。2003年4月、堺市で府会議員として初当選。2005年8月、東京でのパレードにおいて、政治家として初のカミングアウトを行う。
 
ライフストーリーが語られた後、尾辻氏の主張は熱を帯びていく。院生を前にして尾辻氏は言う。
マジョリティである異性愛者には「なぜ、あなたは異性愛者なのですか?その理由はなんですか?」と尋ねられることはない。しかし、同性愛者に対しては常にその質問がなされ、同性愛者であるという説明を求められる。なぜ同性愛者を含むセクシャルマイノリティの側のみが、カミングアウトを求められるのか、多くのリスクを背負わされたままで。職場や家庭で、セクシュアルマイノリティが恐れることもなく、リスクを負わなくてもよいような社会にするべきではないのか。そのような社会をつくるには、ビジビリティー(目に見える・可視化)カムアウトで社会を変えていくことではないのだろうか。見えていなかった・見ようとしてこなかった(クローゼットに隠されていた)存在が、可視化することによってはじめて、今の社会を変えていく力になっていくのである。

奔流のようにわき出る尾辻氏の言葉から、性的マイノリティが抱える問題を、列挙する。
・異性愛者しかいないだろう、ということを前提とする社会の中では、性的マイノリティは見えない存在として扱われる。生きにくさを常に抱えていなければならない。
・家族と分断することの可能性がある。友人には話せても親へは最後まで言えない。孤独や不安から家出をし、売春する子どもたちもいる。親がかりの生活をせざるを得ない子ども時代には、親に告げることは難しいため、18歳になってやっと親元を離れる人も多い。
・ともに生活をするカップルの場合には、パートナーとしての権利が認められない、という悩みもある。財産・生保・不動産相続等。病院や葬式等でもパートナーとして認知されないことも多い。国籍の違うカップルではビザがおりないこともあるし、自治会に入る等、地域との関わりを持つ時にも不安がある。そのため匿名性の高い都会で生活する人が多い。
・同性愛者へのヘイトクライムについて。アメリカでも多いが、日本でも起こっている。
・国政問題として扱われている諸外国の法律について。権利が守られている国としては、イギリスやフランス。同姓婚が可能な国はベルギー、カナダ。しかし、ソドミー法が存在する国があるのも現実である。日本は、性的マイノリティの権利を守る法律もなく、禁止規定もない。しかし、他国からのゲイ難民の申請を却下した国でもある。アメリカは州単位で決めていくため同性結婚に関する制度が州ごとに違う。

 性的マイノリティが生きやすい社会をつくるためには何が為されるべきなのか。尾辻氏は、政治で解決するしかない、ときっぱり言う。憲法24条の解釈の違いがあるため、異性愛者と同じ権利があるのだと各議員が判断しない限り、異性愛者と同様の権利を持つことはできない。そのゆえ、国政レベルで考えられなければならないのだ、と。
 第1セッションの最後に、「基本的な事ですが」と言いつつ尾辻氏が語ったことは、同性愛と性同一性障害との違いについてであった。尾辻氏によると、同性愛とは、自分は女性(又は男性)と思い、それぞれが、女性(又は男性)を好きになることであり、性同一性障害とは、自分の身体と心が一致しないという、医療上の診断名である。両者の違いについて知識をもっている院生はほとんどいなかった。
 インターセックス(先天的に、染色体や性器の形状等が典型的な男女ではない人)は本人が選ぶ前に医者が性別を選ぶ、ということがあるのだが、性は男・女の二つだけではない、ということに思いをめぐらして欲しい。時間を超過して尾辻氏が語ったことである。

第2セッションー質疑応答

Q.セクシャルマイノリティを差別してはならないという法的な保障が日本にはないが諸外国では?
A.アメリカでは(性的志向・人種による)住居の差別を禁止している。企業内制度も完備していっている。そしてそれを監視するNPOもある。ドメスティックパートナー制度というものもあり、フォーチュン50社においてほとんど行なわれている。日本は人権擁護法案で「性的志向」という文言が入っていたが、まだ成立はしていない。

Q.「クイア」ということばについての解説
A.もともとは人をさげすむ言葉。「変態」と言われていた。が、あえて当事者がそういう意味を逆手に取って自称する事で、言葉の意味を肯定的に変えていった、ということも言えるだろう。

Q.府議から国政へという話について
A.議員活動ではセクシャルマイノリティの問題だけでなくDV関連や、自転車に乗る子どもたちのヘルメット着用推進運動などもしてきた。また若い世代の女性議員が府議会では少ないので、若い人や女性の声として活動してきたと考えている。成果としては多様な生き方をしている人たちでも入居できるよう、住宅供給公社に「ハウスシェアリング制度」を取り入れたことがあげられよう。しかし、自治体にできることは限界がある。セクシャルマイノリティの6割は「ホモ・おかま」といった言葉によるいじめ被害を受けており、15%は自殺未遂をしている。電話相談などの対応をしているが、切実な当事者の声を聴き、都道府県レベルではなく国政で考えていくべき、いや、国政でなければできないと考えている。パートナーの法的補助も必要である。現在の日本ではセクシャルマイノリティに対する社会的保障の問題は、政治課題にすらなっていない。意識と制度は同時進行であるべきだと考える。ヨーロッパではすでに国政の政治課題として取り上げられており、同性愛者同士の結婚も法的に認められている国もある。米国でも良い悪いは別として政治課題になっている。それは住宅制度や、企業に対する雇用・労働環境への制度完備を求める形としてみることが出来る。

Q.カミングアウトしたのは何かきっかけのようなものがあったのか?
A.ルサンチマン、と言えるだろう。当事者として暗かった。だが辛い思いを次の世代に味あわせたくなかった。そのためには、誰かがその役割をしなければならないのだと感じた。アメリカでは「ゲイ・レボリューション」が公民権運動の時、1970年代に生まれた。次世代の子どもたちが生きやすくなっているのではないか。

Q.エイズの問題について、何か言いたいことは?
A.大阪市には「プラス」というMSMへの啓発プログラムがあるが、対象が外国籍の人たちや、若者たちに向けられがちで、MSNへの予算が少ない。現在は「AIDS STOP」ではなく「Living Together」というスタンスで活動している。

Q.性の多様性について、学校教育における取り組み状況は?
A.最近はジェンダーフリーバッシングと、行き過ぎた性教育(安倍首相が幹事長時代に調査を実施)についてのバッシングが多くある。

第3セッションー院生の意見や感想

・映画や文化の中で、性の多様性は広がりを見せていると思っているのだが、実社会ではどうか。異性愛こそが当たり前だという社会の前提を変更していけるのか。また制度的な面と共に、我々自身の意識も変えていけるのだろうか。
・尾辻さんの話をきいてカミングアウトしやすい社会を作らねば、と改めて感じた。
・討議が行われる中で気になり、しんどく感じたのは「そういうひとたち」という指示語である。悪意も何もない言葉ではあるが、マジョリティ側の異性愛者であるがゆえに口について出た表現ではないかと感じる。このことは、そう表現した人がどうこうではなく、自分が個人的に「男・女」という社会にどっぷり使っておきながらも二元性で考えることがしんどいと感じていることだからだと思うのだが。
・尾辻さんも触れられていたが、セクシャルマイノリティの当事者が苦しむ原因として、その存在が世間的に「見えにくい」存在であるという点が大きい。多くのセクシャルマイノリティとしての悩みを抱えている人がいても、その存在はどこか遠いところにイメージされ、自分とは関係のない話だと感じている状況がほとんどである。また当事者自身がその存在をよく知らない、あるいは自分自身がそうであると認めたくない(もしくは認識に時間を要する)という現実が、セクシャルマイノリティの存在をより「見えにくく」している。こういった状況を打開するためには、セクシャルマイノリティという存在がよりオープンな存在になる必要があり、そのサポート体制の整備が急務である。
・人種によってセクシャルマイノリティに対する捉えかたが異なるのではないかとの質問がなされたが、それに対しては、人種というよりも文化的な面が大きいということであった。セクシャルマイノリティに付随する問題を考える場合、文化的・宗教的背景が大きく影響する。宗教上、同性愛が禁止されている場合、その規範を犯して同性愛を社会的に認めることは非常に困難であろう。だが長期的スパンではあるが、時代の流れとともに宗教も少しずつ変化している状況を顧みれば、なにかきっかけがあれば少しずつ変化させていく事も不可能ではないと考える。それはつまり、セクシャルマイノリティがもっと社会的に「見える」存在になり、セクシャルマイノリティという概念を一般化させるところからスタートするのではないだろうか。


▲このページのトップへ

 

共生社会研究分野